vol.5「エースの意外な過去、弱い自分を克服するための答え」阿見AC高校コース 谷島大貴さん
写真:月刊陸上競技提供
vol.5 谷島 大貴 -DAIKI YAJIMA-
プロフィール
2001年生まれ 高校1年生
神奈川県出身 茨城県つくば市在住
手代木南小
手代木中
土浦日大高
専門種目:100m・200m
自己ベスト:100m10秒74・200m21秒63
実績:
小6 全国小学生交流大会4×100mR出場
中1 ジュニアオリンピック100m第8位
中2 ジュニアオリンピック100m第2位
中3 全日本中学100m第7位 ・ジュニアオリンピック100m第6位
高1 国民体育大会100m第6位・4×100mR第4位
小学3年生の時に妹と一緒に阿見アスリートクラブへ入会
中学、高校も阿見ACで継続的に指導を受ける
2016年阿見ACメンバーオブザイヤーに輝いた谷島(やじま)大貴(だいき)選手(阿見AC高校コース)。
高校生になった今年もその活躍は続く。
先日開催された愛媛国体では茨城県代表として少年男子B100m※1で第6位、成年少年共通男子4×100mリレーで第4位に入賞、華々しい高校デビューの裏側で「おめでとう」の言葉にはにかみながらも首をかしげる彼の思いを聞いてみた。
陸上を始めたきっかけはダイエット
スポーツ刈りがさわやかな長身の少年、谷島大貴16歳。ジャージ姿にパーカーという服の上からでも感じるのは、中学生の頃と比べると一回りも二回りも筋肉がついてガタイがよくなったということ。「大きくなったね」と声をかけると笑って頭をかく姿はまだあどけなさが残る。
彼が阿見アスリートクラブへ入会したのは小学3年生の時、入会のきっかけを聞いて耳を疑った。「ダイエットのために入会しました。」今のスタイルの良さからは想像もつかない。
彼が言うにはその頃の体型はぽっちゃりより太めだったらしい。「両親も足が速くなって欲しくて入会させたわけではなくて、走れば痩せるんじゃないかと思っていたんだと思います。」足は決して速くはなかったという。「小学5年生になって急に背が伸びて、足もだんだん速くなりました。小学校時代の一番の思い出は全国小学生陸上競技交流大会に4×100mリレーでアンカーを務めたこと。あの時に陸上競技の試合の楽しさを知りました。」
クラブは僕の原点
そんな経歴の彼だが、中学1年生の時からこれまで全国大会で入賞を逃した年はない。
安定した強さを発揮し続けられる理由を尋ねると、本人はそうは思っていないようだった。
「僕は本番に弱いんです。大事なところで力を発揮できない。」
中学3年生の時には10秒79という好記録で100m全国ランキング1位に躍り出ながら、優勝を期待された全日本中学で第7位という結果に終わっている。
それだって決して悪くない結果だと思うのだが彼の見ているところは常に一番高いところなのだろう。
「中学時代は大事なところでケガをして練習や試合で走れないことが辛かったから、今はケガをしないようにケアには人一倍気を使えるようになりました。」
そのおかげで高校生になった今年は特に大きなケガはないという。
「高校は土浦日大高校へ進学しました。スポーツクラスですけど勉強も上位の方で頑張っています。」
部活も一生懸命で勉強も手を抜かないクラスメイトに刺激を受けて毎日が充実しているという。
クラブと部活の両立は大変?と聞くと、
「両立出来ているかどうかはわからないけど、クラブも部活もどっちも楽しいし好きなんです。」
と目を輝かせて話してくれた。
「意外に思われるかもしれないけど、部活では僕がムードメーカーみたいな役目をしている(と自分では思っている)んです。だから休みの日だって自然と足が向きます。」
休みなしで疲れたりしないの?もっと遊んだり、デートしたりしたい!と思うことは?と突っ込んでみたが
「彼女いないんですよ(笑)。休むにしても家でじっとしてるのがダメなタイプで。だから休みが欲しいと思ったことはほとんどないです。」と笑う。
「クラブは僕の原点みたいなもので、クラブの仲間は特別な存在。あいつらと練習出来て幸せだなって思う時もあるくらい。」
高校時代の自分に聞かせてやりたいほどのモチベーションの高さに頭が下がる。
高校1年生の男子の発言とは思えない真面目さに、そりゃ毎年結果を残すはずだと納得してしまう。
波乱の前半シーズン
そんな彼にこの1年間を振り返ってもらった。
「県南大会の結果がよくて、それが逆にプレッシャーになってしまいました。」
自信にはならなかったの?と尋ねると、
「調子が良すぎてピークが早かったんじゃないかと少し不安になってしまったんです。」
その不安がまさかの事件を起こす。
優勝候補だった4×100mリレーで予選敗退。
同じく楽勝と思われた100mで第7位となりインターハイはおろか北関東大会進出の道すら絶たれてしまったのだ。
「リレーで失格になって僕にバトンが渡ってこなかったんです。刺激が入らないまま100mに臨みました。それでも6位に入れないなんてことは考えもしなかったんですが、その日は大雨で決勝の直前に手が冷えてきたんです。まずい体が冷えてきたぞと思って自分なりに動いたんですけど、その時点で全然集中できていなかったんだと思います。決勝のレースは体が全く動きませんでした。走ってる最中も、終わってからも頭が真っ白でした。」
自分だけでなく周りが動揺しているのも分かったという。
このままでは終われないと残す200mに全てをかけた。
「切り替えられてはいなかったけど、考えないようにしていました。今はとにかく200mの事だけに集中しよう。」
そう考えて走ったリベンジの200mは第2位。
「優勝したかったので、悔しい気持ちもありましたが、ひとまずほっとしました。」
そしてインターハイをかけて迎えた北関東高校総体だったが、その200mは予選敗退、波乱の前半シーズン、インターハイ出場は叶わなかった。
弱さと向き合った後半シーズン
苦い経験はアスリートを成長させる。
彼もまた期待されたインターハイへの挑戦が終わり、強く思ったことがあったという。
「原因は自分の弱さだと思いました。練習は出来ていたし調子も悪くないはずの試合でうまくいかないのは、メンタルが弱いせいだと。大事なところで自分の力を発揮できないのはどうしてか、それを考えるきっかけになりました。」
夏のリベンジは秋でしておきたかった。
国体の茨城代表に選出され、少年B100mで6位入賞という結果を残す。
4年連続の全国入賞である。
「6位は悔しかったんですが、全国大会の決勝のレースを久々に走ったら、やっぱり気持ちがよかったです。自分がいるべき場所はここなんだと改めて思いました。」
その大会の成年少年共通4×100mリレーではチーム最年少ながらアンカーを任せられる。
筆者も高校時代国体のアンカーを任されたことがあるが、あれは怖い。
中高生と大人がチームを組むという特殊なリレーは国体ならでは。
先行逃げ切りを狙うチームの場合、アンカーに中高生を配置することが多い。
日本を代表するトップ選手に追いかけられるあの感覚は、ライオンに追われるガゼルの気持ちである。
そして今回彼を追うのは、先日のリオオリンピック4×100mリレーで銅メダルを獲得した多田修平選手(関西学院大学)、飯塚翔太選手(ミズノ)。
さぞかし彼もその恐怖とプレッシャーに震え上がったろうと想像したのだが、そこは大物「谷島大貴」。さして緊張もしなかったと言ってのけた。
「予選で同組だった飯塚選手から逃げ切れたのが自信になりました。決勝で多田選手や飯塚選手に抜き去られたときは、ちょっと固くなったけど、それより世界のスピードを感じられたことが嬉しかったです。」
「レース前の様子も間近で見られて、とてもいい経験になりました。みなさんリラックスして笑っていて、あんな余裕さを自分も出せるように力をつけたいと思いましたし、そこから集中モードに切り替える時の感じもすごいなと思いました。」
勝てる選手に
悔しい思いをして、全国の空気を再確認して、世界の風を感じる。
高校1年生にしては濃すぎるシーズンを終えた彼に、これからの目標と夢を尋ねてみる。
「高校の目標は、インターハイ、国体、ジュニアで優勝することです。波がない選手というか、どんな状態でも勝てる選手になりたいです。」
「夢は、世界で活躍できるようなスプリンターになること。そしてその夢が終わったら、指導者になりたいと思っています。今は教えてもらう方ですが、自分が教えた選手が結果を出したとき、コーチはどんな気持ちになるんだろうってすごく興味があって。まずはその一歩として佐藤慧太郎コーチを喜ばせられるような結果を出したいですね。本番に弱い自分を克服するための、この冬のトレーニングが今から楽しみです。」
迷いのないその瞳に、彼のさらなる飛躍と成長を確信させた。
※1 中学3年・高校1年混合の部