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vol.1 ③夢のクラブ編「生まれながらのリーダー気質」 楠 康夫

  空白の13年間、経営者としての道  

陸上を引退してから13年が経っていました。

13年も陸上から離れていたんですから、自分の指導や考え方は浦島太郎だろうと考えていました。「収入もゼロなら、指導だってゼロからはじめよう。」それでまずは子供を教えることから始めました。

今現在、阿見アスリートクラブには子供から大人まで様々なコースがありますが、それは子供の成長と共に少しずつ多様化していった感じです。最初は学年も性別も違う子供たちが集まってきて本当に一緒に練習をする場所としてのクラブでした。

ただ、頭の中にはずっと「子供から大人まで幅広い世代の人たちが集まるクラブ」の構想がありました。競技スポーツをやれるのは限られた時間です。むしろそれから先、生涯スポーツとして陸上競技と関わる時間の方が人生においては長いんです。

指導者になりたくてクラブを作ったなら、あくまで収益のために大人の部を、と考えるのかもしれませんが、私ははじめから指導者ではなくて経営者になりたかったわけですから、陸上競技のクラブを作るなら大人の部を作らないと考えるのは自然な流れでした。

その考えが、阿見アスリートクラブの指導システム「世代間育成システム」の根本です。

一般的に言われる一貫指導と何が違うのかというと、競技的に頂点を目指すための一貫指導ではなく、一生涯かけっこをするための一貫指導というとわかりやすいかもしれません。

小さな子供がかけっこを楽しみ、成長する中で競技スポーツに取り組み自分を磨き、引退してからもまたそれぞれの目的のために走る。「一人の人が一生かけっこできる場所」それが阿見アスリートクラブの世代間育成システムということですね。

  日本代表が誕生  

とはいえ、陸上競技を指導する以上、いつかこのクラブからオリンピック選手を輩出したいという思いはありました。

世代間育成システムを謳って6年が過ぎたとき、クラブで育った子供たちの中から日本代表が誕生しました。世界ジュニア女子100mH日本代表の久貝瑞稀とアジアジュニア1500m日本代表の楠康成の二人です。

小学生の頃からずっと一緒にクラブで練習してきた二人の快挙で、これまでのクラブの指導にまた自信がついたのは言うまでもありません。

それまでのコースは、中学コース、高校コースと年代で分けていただけで他の選択肢がなかったんです。ただ、部活動との兼ね合いで週5日通うのが難しく、それでもクラブに通いたいという声はずっとあって…そのニーズに今ならに応えられると踏んで週1回コースと週2回コースを増やしました。

それをやると一貫指導がぶれてしまうんではないかという危惧があり、なかなか形に出来ずにいたのですが、阿見アスリートクラブの指導なら世界に羽ばたく選手を育てることができると証明されたわけですから、コースを多様化させても世代間育成システムが揺らぐことはないと確信したんです。

なにより、ずっとクラブでかけっこがしたいという思いに様々な選択肢を提示して応えることが出来るというのは大事なクラブとしての役割ですから…。

  大きくなるクラブと人材育成  

中高コーチ佐藤慧太郎と植村真維

コースの多様化の要因は実はそれだけではありません。

選手を育てる裏側で、人材の育成にも力を注いでいました。

私が本格的にクラブを始めた2006年に事務職員として現役アスリートだった植竹万里絵を採用しました。当時200mの日本ランキング4位だった選手です。

陸上クラブとしてアスリート支援をしたいという思いもありましたし、トップ選手の走りを間近で見ることは、子供たちにとってとても刺激的なことだとも思っていました。

はじめは事務職員としての仕事がメインでしたが、指導にも関わり、引退後は本格的に中高生の指導者として活躍してくれました。

その後も佐藤慧太郎(現役トップアスリート)、植村真唯(クラブOG)という人材を採用して中高アスリートコースの指導の充実に努めています。

小学生コーチのミーティング

小学生コースの人材不足も課題でした。

そこで妻の友人で小学校の先生をしていた菊田千恵子コーチの力を借りて、これまでの小学生の指導システムを再構築してもらい、クラブ卒業生の古江千晶を小学生担当職員として採用することでより一層小学生コースの発展と充実につなぐことができました。

小学生は人数も多く手もかかるため人手も必要です。しかしクラブのことを何も知らないスタッフを採用し、カリキュラムを実行するだけの指導にはしたくないという思いがあり、クラブの卒業生をアルバイトとして採用して小学生の指導にあたってもらうことにしました。

それまでボランティアの保護者の方たちにお願いしていたお父さんお母さんの温かい目と雰囲気をそのままに、小学生の指導を充実させるという課題も解決しました。

大人の部コーチ三好一弘

そして一番ニーズが多様化するのが大人のコースです。どんな人がどんなことを求めているのかそれを踏まえたうえでクラブとしてできる環境づくりはどんなものか?

どうしても子供の指導と並行してやれるスタッフがいなかったところに、成田清和、三好一弘、井手雅子、鈴木健之コーチとの出会いがあり、大人の部の運営をお願いすることにしました。

とにかく密着、親切、熱心、それでいてそれぞれのペースを尊重した指導をしてくれるおかげで、大人の部の会員も少しずつ拡大することに成功しています。

どのコースのスタッフも指導だけではなく運営にも関わっていることが阿見アスリートクラブとしての人材育成の特徴です。

ただ働くのではなく、一緒に考え一緒に運営していくことでそれぞれが責任と意欲をもって、より良いクラブづくりを考えてくれる。そうやってここまで進んできたことが、近年のクラブの拡大に大きく貢献しているんです。

  経営者としての挑戦  

息子と二人だけで始まったクラブが17年経ち、今は300人近い会員が集まるクラブへと成長しました。

ここまで続き、大きくできたのは家族を巻き込んでクラブを経営してきたからというのが大きい、妻はクラブマネージャーとしてクラブの活動の中枢を担っていますし、息子たちもクラブで育ち、大人になった今もそれぞれの夢を目指しながらクラブに関わってくれています。

これが家族を家に残して自分だけでやっていたなら、きっとここまではやれていません。

自分の夢のために家族を犠牲にするのはよくない。だから私は家族を巻き込んで一緒にクラブを経営をしてきました。

そうすることで、夫として父としての責任がより強くなる。そのプレッシャーをエネルギーにしてここまで頑張れたし、これからももっとやってやるぞ!って思えるんです。「父ちゃんの背中を見とけ!」って。

まぁ、「ある意味犠牲者だけどね」って妻から言われることもありますけど。(笑)

経営だけでなく指導にも携わる

そうやって夢中で駆け抜け17年間でしたけど、しっかりと当時夢に見ていた「子供から大人まで元気にかけっこができるクラブ」の形も完成してきています。

しかし阿見アスリートクラブは独立採算制のNPO法人、たくさんのスタッフを雇用していくためには会費だけでは賄いきれないのが現状です。

やはりスポンサーの獲得と会員の拡大が必要なんです。

そしてそんな時こそ燃えるのが楠康夫という男です。これまで様々な困難に直面しても真面目なひたむきさと揺るがぬ自信で乗り越えてきました。

今こそ経営者としての私の腕の見せ所だと考えています。

クラブもっと大きく、そして100年続く組織にするために、もう次の挑戦は始まっています。

「何をしているかは企業秘密ですが…。」

  最後に、あなたの夢はなんですか?  

阿見アスリートクラブを地域に愛され、100年続く組織にすること。

それが夢だと語ってくれた楠康夫理事長に少し突っ込んだ質問をしてみた。

その先の夢はなんですか?

今は笑われるかもしれないから人に言ったことはないんだけど…そう前置きしてから

「FCバルセロナ」そんな答えが返ってきた。

阿見アスリートクラブがFCバルセロナとかACミランみたいに、行政、企業、学校、個人、あらゆるものを巻き込んで、地域の経済を動かすビッグクラブになるのが本当の夢です。

子供のようにキラキラした眼差しで誰よりも夢を全力で追い続けるリーダーがそこにいた。

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