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vol.8「心から叶えたい夢」細谷優美さん


写真提供:月刊陸上競技

vol.8  細谷 優美 -YUMI HOSOYA-

プロフィール

1995年10月23日生まれ 22歳

茨城県河内町出身

金江津小学校

金江津中学校

東洋大附属牛久高校

大東文化大学 スポーツ健康科学部 スポーツ学科

坂戸市入西小学校 教員

専門種目: 100m・200m

自己ベスト:100m・11秒92 200m・24秒30

歴史・実績:

中学1年 阿見アスリートクラブへ入会

中学3年 ジュニアオリンピック200m出場

高校1年 インターハイ4×100mR出場

高校2年 インターハイ100m・200m出場

大学3年 関東インカレ200m優勝

4月に気温30度を記録する暑すぎるこの春、阿見アスリートクラブの大人アスリート達にも熱い変革が起きていた。阿見ACの卒業生が二人、現役選手としてクラブに戻ってきたのである。一人はこの冬5年務めた実業団を辞め、海外で指導を受けながらオリンピックを目指す決断をした楠康成選手。

そしてもう一人が、今回のインタビューの主役である、大東文化大学をこの春卒業し、小学校の先生をしながら現役続行を決意した細谷優美選手、その人である。

 バレーボール(補欠)からの転身 

10年ほど前、彼女が阿見アスリートクラブを初めて訪れた日の事はいまだに覚えている。

眼鏡をかけて少しうつむき加減の猫背の女の子は「短距離がやりたい」と体験にやってきた。

醸す雰囲気からはスプリンターのオーラは感じられず、彼女がその数年後、100mを11秒台で駆け抜けるとは思いもしなかった。

ドリルをやらせてみても操り人形のようにぎこちなく、バレーボール部だという割にはジャンプも苦手。ここまで不器用な子もなかなか珍しい。ただ、走り出すとほかのどの選手より力強く、そして速かった。

陸上競技を本格的に始めたのは中学1年生の秋からだ。走るのは小さいころから得意だったが、中学校に陸上部がなかったのでバレー部に所属するも本人曰くセンスは皆無で常にベンチを温めていたという。

そんな時、なんとなく出場させられた郡陸上で優勝し、右も左もわからない状態で県大会に出場した。少し自信のあった足の速さも県大会レベルになると通用しないことを痛感、大会後すぐに以前から存在を知っていた阿見ACへの入会を決めた。

入会から数カ月、彼女はたちまち同学年のトップに躍り出ていた。

足が速くなった理由を尋ねると、その答えはチームメイトの存在だという。

その頃クラブには彼女の2学年先輩に全国大会上位で活躍していたハードラーの久貝瑞稀選手、同じく全国出場していたスプリンター赤塚佳苗選手がいた。同級生には走り幅跳びで全国入賞の経験を誇る松浦萌衣選手、そして筆者も現役選手としてクラブの選手たちを率いて共にトレーニングしていた時代だった。

「クラブには自分より速い人がたくさんいたので、練習ではただただがむしゃらに食らいついていました。そして気づいたときには同学年のトップになっていたのですが、県大会では勝てても、クラブに行けば勝てない。追われる者のプレッシャーみたいなものを感じることなくのびのび練習できたのは自分に合っていたと思います。チームメイトに自分の力を引き出してもらっていたという感じですね。恵まれた環境だったと思います。」

 負けることへの耐性 

その後の彼女の陸上人生も、常にチームメイトに自分より速い人がいるものだった。

進学した大東文化大学では、同学年に100m11秒4という記録を持つ土井杏南選手がいた。

「スピードやテクニックはもちろん、練習への取り組み方も熱意も全て自分より上だと感じていました。こういうところがダメなのかな?とも思うのですが、ライバルという意識は全くなくて、常に目標とする存在でした。」

後輩には100mから400mまでマルチに全国トップクラスである佐藤日奈子選手もいた。

「常に自分より速い選手がいる環境で育ったことによって、私はいい意味で負けることに耐性が付いていました。練習で誰かに負けたり、調子が上がらなかったりすると焦ったり不安になったりする選手をよくみますが、私の場合、負けること、遅いことに対して、練習は練習と割り切る力が自然と身についていたのだと思います。今の状態から客観的に見て何をすれば良くなるか、試合の時にベストな状態に持っていけるかということを考えるのは、速い人と走りながら、どうやったら抜けるかを考えて自分をコントロールすることとよく似ていて、それに関しては自信がありました。」

自分が強くなったのは、自分より速い人がそばにいるから。そう堂々と言ってのけるところが、彼女らしいと思う。自分より速い人たちをライバルと意識したことはないと言い切ってしまうところも。

スピードを求める者、勝利を求める者、記録を求める者、強さを求める者、達成感を求める者。その全てを求める者、陸上競技において何を目指すかは個人の自由である。

「陸上競技を続ける理由はオリンピックを狙っているからですか?と就職活動中も何度か聞かれましたが、それは結構きつかった。私は私が本当に達成したいと思う目標に向かって頑張りたい。オリンピックを目指す!と堂々と宣言する実力は私にはまだありません。でも掲げた目標が他より低いからと言って勝敗もその通りになるわけじゃないじゃないですか。」

周りがどんなに高い目標を掲げようと、自分が目指すものはこれと、胸を張って言える強さが、自分にはそれほどの才能はないといいながらも着実に成長し続ける彼女の能力なのだと思う。

 追い続ける夢 

「私の目標の一つは、全国大会で決勝に残ることです。」

「全国大会入賞という目標は恥ずかしいことに中学の時からずっと目指していまだに達成出来ずにいる目標です。大学に入ってリレーでの入賞や、関東インカレで優勝したこともあるのですが、あくまで個人で全国大会での入賞というものじゃないとカウントできないなと思ってます。」

関東インカレ優勝という成績に関しては、全国入賞に匹敵すると思うのだが、本人はそれで納得は出来ないのだという。

「関東インカレで優勝した時は、優勝候補が棄権したりして本当に実力で勝ったとは言えないと思って手放しで喜べなかったんです。せっかく勝てたのに、ガッツポーズすらできませんでした。それでも、たくさんの人たちがその結果を喜んでくれたのは嬉しかった。だから形で示したいんだと思います。特にずっと私を支えてくれた両親に全国大会入賞という形で恩返しができたらいいなと。全国で何番になりました!が、やっぱりわかりやすいですから。(笑)」

厳しく、しかしいつだって最後は彼女の想いを尊重してくれた両親への感謝は計り知れない。

「もう一つの目標は、200mを23秒台で走ること。」

それを聞いてハッとした。その目標は筆者が現役時代に目標としていた記録だったからだ。

結局0.03秒足らずその目標は夢と散った。その話を彼女にもしたことがあった。

「万里絵さんの夢を受け継いでいます。」

その言葉に少し胸が熱くなる。教え子が自分の夢を叶えてくれたらどんなに嬉しいことだろう。

彼女にはその力が十分にあるという確信ののちに、神様でも神風でもなんでもいいから彼女の背中を押して欲しいと元指導者らしからぬ思考が沸き上がる。

自分の夢や目標を達成して競技を終えられる競技者は全体の何割だろうか?

その努力とは裏腹に突き付けられる結果は、あまりに残酷だと思ったことは幾度となくある。

それでも夢は叶うと信じることに意味と価値は必ずある。それ以前に、信じなければ始まらないのだけれど。

彼女の夢もその一握りに滑り込むことを願いながら、

「南を甲子園に連れてって!」なんて台詞は筆者には死んでも吐けないので、

彼女の想いにかける言葉はこれしか思いつかなかった。

「優美なら、もっと上目指せるのに。」

「がんばります」

力強く答えるそのはにかんだ笑顔は、出会った頃と変わらないなと思う。

しかし想像を超えるような努力や挫折を繰り返しながら彼女もまた走り続けてきたのだろう。

不意に彼女と切磋琢磨していたクラブを巣立っていった選手たちを思い出す。

今どうしているだろう。頑張っているのかな。夢は叶えられたのかな。それともまた違う夢を見つけているかな。今は見守ることしかできないけれど、クラブで一緒に夢を追いかけた頃と同じ思いで一人一人の成功を祈っている。このシーズンはまだ始まったばかりだ。

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